にんにくガーリック

元気に小説を書きます。水曜日のお昼ごろ更新の予定。このブログの内容は、特別な記載がない限りフィクションです。

『ラム酒を一杯』

ラム酒を一杯』

 成人してからもお酒を飲んだことがないと気づいた。

 山本弘樹は二十一歳の誕生日を迎えた。珍しく親戚と集まる機会があり、会う機会の少ない遠い親族からはもう成人かと毎回似たような話をされた。やがてどんな酒が好きかと訊かれて、そういえば飲み物に頓着していなかったと気づいた。
 定食屋や弁当では飲み物は水か、ときどきお茶が出る店だった。自販機にあるものはジュースやココアが多いし、付き合いで行くファミリーレストランにはソフトドリンクとコーヒーしかない。

 東京に戻り、仲のいい同僚に相談した。

 ひとつの店を紹介された。名前はピクシーテール、口コミを中心にするため、知名度は低めで落ち着いた雰囲気だそうだ。そういった店は洒落ているイメージがあったので、普段はバッグにつけているマスコットを外すことにした。

 翌日の夜、さっそく足を運んだ。間違いなくこの扉かと確認しながら扉を開けた。すぐにボーイがやってきて席へと通してくれた。

 とりあえず注文をする。どれも区別がつかないので、手元に書かれていた名前を、いかにもこれが好みな雰囲気を出せるように言った。
「こちらレモンハートを、えー、ひとつ。お願いします」
値段が統一されているおかげで、安いのを選んだとか、高いのを選んだとかと思われないように工夫されている。初心者には有難いものだ。

 程なくしてグラスとチーズが運ばれた。薄い琥珀色の液体が揺らぎ、いかにもアルコールといった匂いが鼻をくすぐった。口をつけてグラスを傾けた。想像よりも甘く、今までよりも辛い、大人の味が広がった。

 翌朝は普段と変わらない朝だった。噂に聞いた二日酔いを心配していたが、どうやら杞憂に終わったようだ。
 出社してすぐに話の種になった。
「行ってきたんだろ、どうだった?」
「うーん、味は少なくとも悪くはないんですが、どうにもよくわからないというか」
「そうかそうか。いいんじゃないか、悪くはないって分かった上に、調子には乗らなそうで」

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 月日は流れて春、山本弘樹は管理職の才を見出されていた。

「皆さま、はじめまして。企画部長の山本弘樹です。どなたも一流大学の出身と聞いています。よろしくお願いします」
深く頭を下げると同時に穏やかな拍手で迎えられた。目先の課題はミニチュア模型の街角を作ることだ。

 陽も傾くころ、新卒の女子社員から声をかけられた。
「コーヒーかココアいかがです?」
「ありがとう、ココアでいいかな」
「はい、どうぞ」
彼女はそのまま隣に座った。

「このストラップ、最近でた"五右衛門が変身したぴかえもん"ですよね? お好きなんですか?」
「え、ああ。子供の頃ずっと好きだったのをこの前、偶然みかけて、懐かしいなーって」
「いいですね、思い出の作品って感じで」

 改めて自己紹介をした。山本弘樹、三十歳、独身。平林恵子、二十三歳、独身。共通の話題に、長い間つづくゲームのシリーズがあった。そのおかげもあり話が弾んでいった。

「私は甥と遊ぶうちに自分も好きになって、今では自分のためにイベントにも行ったり」
「へえ、それも素敵な出会い方だ」
ますます談笑は盛り上がり、気づくと空が赤くなっていた。

 帰りの時刻には社長自ら社員を追い出して回ると聞いていたのは本当だった。駅までの道で、その理由が主に電気代だったと再び盛り上がった。

 ホームで連絡先を交換し、別の方向への電車に乗った。

 やがて家に着いた。久しぶりにたくさん話をした。だらだらとインターネット記事を読み遅くなってからシャワーで済ませることが多かったが、この日は高鳴る心を原動力に、帰ってすぐに、しかも湯船に浸かることにした。

風呂に入り身体を伸ばした。上がるとメッセージが届いていた。新作イベントの発表があったようで、恵子さんからこれについて送られてたのだ。

 ──読みましたか? いままでに無い体験型のイベントのようで、わくわくします。
 ──すぐ気づかなくてごめん、風呂が長くなって、メッセージを読んですぐホームページを見に行きました。楽しそうなので、僕は早速、日曜日に行くことにするよ。

 その返事は時間をあけて帰ってきた。
 ──メッセージってすぐに読むとは限らないものなので、いいんですよ。私もいま、歯磨きをしてて遅れましたし。それより日曜日に行くなら、ご一緒してもいいですか?
 ──ありがとう、若い子もそう思ってるんだね。安心したよ。それよりご一緒って、本当にいいの? 夕食をご馳走とかは期待しないでほしい。恥ずかしながら普段行くようなチェーンのファミレスしか知らないんだ。

 ──歳の差なんてほんの少しじゃないですか。若いのはお互いですよ。私は語る相手がいたほうが楽しいと思ったからで、一人でじっくりのほうが好きな方なら無理にとは言いません。それに夕食は、各自で食べた分だけ払いましょう。私だってもう、自分のこともできない子供じゃないですから。

 これはデートというのではないか、と思いながら寝る準備をした。社内恋愛についての規定はないので問題はないが、万が一これが早とちりになった場合が心配だ。

 当日の会場に着いた。チケットを買い、ベンチに座って開始を待った。他の参加者が来るたびに席を詰めるので、いつのまにか密着していた。

 定員が揃ったので今回の部が始まった。隠された出題を見つけ、その出題に対して回答を探し出す。その内容は他言無用のため、語りたい気持ちをぐっとこらえて飲食店街へ向かった。

「ありがとうございました。クリアできたのは弘樹さんのおかげです」
「こちらこそ、恵子さんがいなかったら無理でしたよ。ありがとう」

夕食の店を探すと「ここなんていかがです?」と勧められて入った。レジにて注文と会計をすませ、席で待つ。
「料理以外はセルフサービスなんですよ。お水を持ってきますね」
「それじゃあ食器は任せて。フォークとナプキンでいいかな」
「ナイフも使います」
話を弾ませている所にカルボナーラと、ポテトのジェノバソース・スパゲッティ、そしてマルゲリータ・ピッツァが運ばれた。

「センプレピッツァか。覚えておくよ」
(これは実在の店名ですが、末端消費者の一人として何度となく通い、おいしいものをたっぷり食べた事実を除いて、筆者との関係はありません。ご近所の方はおいしいイタリアンピッツァをお楽しみください)

 季節が変わり、二人の仲はすっかり社内に広がっていた。この交際は静かながら応援されていた。周囲までもが日々の仕事を早めに片付ける原動力にしていた。

「弘樹さんは、お酒って飲みます?」
「以前にためしに飲んでみたら、その時は一人だったからよくわかんなくて、それから何年も飲んでないね」
「私も試しに飲んでみたいんですけど、ちょっと不安なのでご一緒してほしいな」
「それなら以前に勧められた店があるんだ。前はここで同僚だったんだけど、今は独立した奴から教わったのを、こんどは僕が教える番だ」
「ロマンチックですね! さっそく今夜はいかがでしょう」

 突然ではあったが、困りはしなにのでピクシーテールへ向かった。

「どうやって選べばいいんだろ。名前で選ぶならレモンハートにしようかな」
「僕も一度、同じ理由で選んだことがあるやつだね」
「びっくり! やっぱり気が合いますね」

笑いあった。運命的とはこういうのを言うんだろうか。

 グラスに口をつけてゆっくりと傾ける。たしかに同じものを飲んだことがある。しかしその味わいは新しいものだ。
「二人だとこんなに美味しくなるとは知らなかった」
「ええ、私もです」

やがてつまみのチーズがなくなり、カルパッチョを追加した。

 ふと恵子の顔に違和感を覚えた。グラスには半分ほど残っているが、顔が耳まで赤くなっていた。
「今日はそろそろお暇しようか」
「でも弘樹さん、半分も残したら申し訳ないですよ」
「非礼は謝って済むことがあるけど、健康は謝っても治らないんだぞ」
「私はもうちょっとお話をしたいなー」

とは言うものの、グラスに口をつけようとはしない。

弘樹はグラスを取り「そんなに言うなら」と残った半分を飲んだ。
「これで残してない」
「そんなに飲んで大丈夫ですかぁ?」
「先に自分の心配をしなさい」
「明日はお休みだから大丈夫ですよ」

会計を済ませて外に出た。どれだけ仲が良くても部下の健康を守るのが上司の務めだ。
「弘樹さんも顏が赤くなってきてる」
指摘され意識せざるを得なくなった。まずは家に送り届けるつもりだが、少しの不安があった。
扉が閉まる直前に、背後から「どうぞお幸せに」と聞こえたような気がした。

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 待ち合わせの場所に着くと同時に二通の電子メールが届いた。
一通め──けいすけへ。駅のトイレでならんでて、少し遅れそうです。
二通め──指輪が用意できました。この度はおまたせいたしました。

 成人して間もないので決して小さくはない出費だが、それを上回る価値がある。プロポーズの言葉と指輪を贈る日のために、高校生のうちからお金を貯めるための勉強をしていた。

「おまたせ」
 声をかけられて急いで画面を隠した。サプライズにしたいのでうっかり見せないように気を使っていたが、予想より早く来たので驚いてしまった。不自然にならないよう隠すのを兼ねて挨拶を長めに返した。
「おはよう、和枝さん。思ったより早くて嬉しいよ」
「そう? もしかしてメールの時刻を見てなかった?」

 言われて確認すると、二十分も前に送っていたようで、前に並ぶ人やこの場所への道と合わせても遅いほうだった。
「前の人が長くてね」
「そっか。でも気にならなかったな」

 二人は真昼の街へ向かい、駅に戻ったのは夕方だった。
 逢瀬のときは流れ、次の約束をする。さっき大事な連絡を受けたから、日付を今夜に連絡するよ。楽しみにしてて。

 帰りの電車でもプロポーズの言葉を考えていた。確実な指針がないので答えが出ないままでいたが、これ以上は悩む時間がない。気持ちを正確に、そして簡潔に伝える。重要なことだ。

 呼び方はどうしようか。

 彼女のフルネームはなんだったか。初めて会った日からずっと、苗字ではなく名前で呼んでほしいと言われたため、すっかり覚えていなかった。何か悪い思い出があるのかもしれない。やはり下の名前だけで呼ぶほうがいいだろう。

 続く言葉はどうしようか。

 結婚してください。ひとつの点に注目していて、その後が曖昧じゃあないだろうか。結婚は最後ではなく、新たな門出なのに、その先を考えないのはおかしいのではないか。

 一緒にすごしましょう。結婚した後の話を想像する。うっかり冗長にしそうなので、簡潔さをほか以上に意識しなければ。

 この二通りの他を増やせば冗長になるだけだろうから、このふたつを合わせて決めることにした。たったこれだけでも決断は難しいことだった。お金で困らないような勉強に熱心すぎて、肝心の伝え方については勉強を忘れていたのだ。

 かずえさん、結婚してください。これは直接すぎるだろうか。ください、の部分もどこか嬉しい内容の印象がない。これまでの経験からか、聞き心地が悪い側だった。

 かずえさん、一緒に不幸を乗り越えましょう。これは現実に必要とは言えど、プロポーズとしてはネガティブに寄りすぎた表現だ。言わないままでも実現し、言うにしても別の機会がいいな。

 プロポーズの言葉を考えてはどこか変な気がしていた。スマートフォンの覗き見防止フィルタを買っておけばとも思った。もし横から見られたらと思うと顔が熱くなった。

 そうして案を上げるうちにひとつの答えに着いた。
 変に繕っても台無しなだけだ。素直な気持ちを伝えよう。きっといちばん自分らしい。

 家に着いたらすぐにピクシーテールの席を予約した。そこでおそらく最後の、恋人としての逢瀬を過ごすことになる。日程と場所を書いて電子メールを送った。すぐに返事がきた。
「その日でばっちり大丈夫、楽しみです」

無事に決め終えて、肩の荷が下りた。あとは伝えるのみ。

 二年前、成人式の翌日に両親と盃を交わした。それ以来ときどき訪れるうちに、予約専用の席があると知った。夜景を眺め、注文すればすぐに届く特等席だ。実際に見たのではなく伝聞なので、どんな景色なのか楽しみに想像した。

 いよいよ当日が来た。ランチの味と同時に、これまで以上に心臓が強く鳴る感覚を味わった。

 夕日と鐘の音に迎えられながらピクシーテールの扉をあけた。予約していたと告げ、案内された席に向かう。普段の席とは離れ、全く異なる風景が目に飛び込んだ。そこはまるで初めて訪れた、別の店のように新鮮だった。それでも椅子の座り心地や照明の加減はいつものピクシーテールにいる気分に引き戻してくれた。

 まもなくデカンタとグラスが運ばれてきた。ボーイに礼を言い、グラスに手を触れた。言うべき頃合いを見計らう。
 そこで重要なことに気づいた。お酒を飲んだら、勢いに任せて冷静さを欠くのではないか。そうでなくとも、それを狙っているように見えるかもしれない。今更になって気づく大ポカだが、別の日にすればさらに失敗は大きくなる。

 とにかくグラスが口へ届く前に言わなければ。間違いなく酔っていない今のうちに、慌てて口を開いた。
「待って、飲む前にひとつ」
慌てすぎて呂律に不安があったが、無事に通じたようだ。真剣な面持ちになった。
「ええ、待ちますよ」
グラスを戻し、両手を膝の上に置いた。緊張がすでに伝わっていそうて、ますます心臓が飛び出しそうだ。ボーイも持ち場を離れて背中を遠くに見せた。世界が二人だけに感じられる空間となり、いよいよこの瞬間に進む。

「結婚をしよう。幸せになれると思うし、不幸も乗り越えると思ってる。そして、君も同じだと思ってる」

 言い終えて心臓の音が聴こえてきた。一秒ごとに一年が過ぎていくように感じた。
 返事が届いた。

「もちろんです。喜んで」
そして両手を出したので、その手を取り、握った。

「私のためにたくさんの準備してくれたんでしょう」
「君こそ、この手で次に何をしていいか導いてくれた」
「いつも頑張ってて、私が手伝えるのはこういう所ばっかりだから、できることをやらなきゃ」

 語らいは続き、ようやくグラスが口に触れた。変わりないはずなのに違う味が広がった。今日は口よりも胸がいっぱいだった。

「やっと苗字が変わるんだぁ」
「ああ、そうか。大変な手間をかけさせるけど、できる範囲は僕がやるよ」
「だめ。私にやらせて。自分で済ませたい」

 その口ぶりは苗字について悪い思い出があるように見えた。
「わかった。それじゃあ──」
言うべきことを決めた。
「改めてよろしく、山本和枝さん」