にんにくガーリック

元気に小説を書きます。水曜日のお昼ごろ更新の予定。このブログの内容は、特別な記載がない限りフィクションです。

『イニストラードを覆う百合の隆盛 3』

『イニストラードを覆う百合の隆盛 3』


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 潮風に煽られ買ったばかりのストールが飛
ばされた。海にほど近い道からうっかり落ち
れば拾う術はない。この身では浸透圧に耐え
られないのだ。草の茂る土から離れ、慣れな
い岩肌を踏みしめた。幸いにも小岩の窪みに
引っかかったので取りに戻ることにできた。

 どこか懐かしい匂いが鼻をくすぐった。
 地が鳴り、海が猛る。地元の漁師は海から
離れるよう喧伝した。恐ろしいものが近づい
てくる確信めいた胸騒ぎを抱えていた。

 普段は近寄ることのない岩場なのに、褥の
ように穏やかな気配を感じた。遠い昔の記憶
を呼び起こすような昂揚があった。地鳴りが
収まるかと思うとにまた突き上げられる衝撃
を凌ぐため、小岩の窪みで身体を支えた。そ
れでも海に落ちてしまいそうだ。気づいても
移動するほうが危険に思えた。
 やがて海が割れ、巨大なタコが現れた。海
の精霊とでも言うべき神々しい姿。大いなる
古の深海鬼その人である。海から浜へ、そし
て岩場へと乗り上げた。その眼孔は一直線に
小岩を捉えていた。窪みから身を出した所で
目線が交差した。

 地に乗り上げた滑る触手は艶かしい輝きを
見せ、しなやかな曲線と整った吸盤が極めて
女性的な魅力を放っている。見惚れるままに
身を進めた。地鳴りはすでに収まり、不安ご
とはなくなっていた。まず必要なのは挨拶で
あるが、どんな挨拶がいいか戸惑った。言葉
が通じるかどうかも博打となる。切り出して
から考えることにした。

 たどたどしく挨拶を交わした。異種間の挨
拶をしたのは初めてだった。これまでは喰ら
うか喰らわれるかの関係しか知らなかったの
に、初めてどちらでもないと思える相手と出
会ったのだ。もちろん根拠はなく、不思議な
確信を根拠にした。もしも間違いならば、そ
の時は喰われて死ぬだけの話だ。

 沈黙が流れた。深海鬼は想像もつかないほ
どの歳上である。何か気を引く言葉を言いた
いが、変に考えるよりも率直な言葉がいいと
思った。綱渡りをしかも連続するのは自分で
も信じられないことだ。胸中で自嘲した。

「君に惚れた。共に歩もうぞ」
「そう」

 あまりに薄い反応に失敗したと思った。続
く言葉を浮かべる前に返してほしいと思った
が、再び沈黙に戻ってしまった。表情から何
も読み取れず、たじろぐばかりだ。叩く大口
こそ甚だしいが、内心は臆病そのものであっ
た。

 立ち尽くすうちに、粘性の液体が身体中か
ら噴き出してきた。人間におけるアドレナリ
ンと同じ、感情の昂りに伴う生理現象だ。
 その身と眼前の触手を見比べ、足がかりを
得た。そうだ、これだ。

 自分と相手の違いは互いに興味を持てそう
だ。最も目立つ差異といえば、やはり身体の
形だった。甚だしい大口は細く短い触手があ
るのに対し、老いたる深海鬼は太く長い触手
を持っている。口の場所も正反対で、触手の
根元では使いにくいのではないかと思った。
「私よりも立派なその脚を、どんな使い方を
するか教えてほしいな」
 意を決した。求愛を向ける先を一点に集中
したのだ。最も魅力を感じたのは太く立派な
脚であった。自分と異なる部分に惹かれると
言われるので全く自然なことだ。
 深海鬼はこれを聞くと、品定めをするよう
に、舐め回すように視線を動かした。きっと
大丈夫だろう。脈打つ脚を使い立ち上がらり
真上から語りかけた。
「こんな使い方をしてもよいのだけど」
 大口の身体を地に強く押さえつけた。柔ら
かな身に小石の突端が刺さった。身動きのと
れない大口の身体を、深海鬼の余った触手の
四本が這い回った。
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 突然の、そして初めての感覚に悶えた。内
臓が悲鳴をあげるほどに押し潰され声が出な
かった。普段とは異なる趣の粘液が身体から
滲みだした。深海鬼の口元が緩んだ。
「思ったよりも積極的さんだね。勇気を持っ
て踏み出したんだね。えらいぞ」
 深海鬼の触手は知ってか知らずか、頭では
なく反対側を撫でた。深海鬼自身も興奮を隠
すつもりがなかった。大口が朝に喰らったも
のの残骸が逆流し、悪臭が周囲を包んだ。幸
いにも別の液体が多いおかげですぐに気にな
らなくなった。
 深海鬼はタコなので口の場所は触手の根元
である。必然ながら接吻をするならば触手で
口元を覆うことになる。甚だしい口が呼吸を
奪われて喘ぎ、深海鬼の汁で代替させようと
した。熱烈なアプローチに応え、お返しも受
け取ったので、さらに強く求めあった。

 甚だしい嬌声はまるで深海鬼を包囲してい
るように響いた。あちこちの木や岩にぶつか
り、深海鬼の元へ集中するのだ。それほどに
声を届けたい証左であった。深海鬼の巧技が
そう思わせた。マナを絞り出しているにもか
かわらず、別のところからマナが出ているよ
うだ。深海鬼にも心当たりがあった。お互い
に、一人のパートナーさえいれば土地はわず
かで充分なのだ。

 そろそろ限界も近い大口の制止を遮り深海
鬼の触手がのたうった。攻守は何度も入れ替
わり、両者とも、体力も精神力も共に限界が
間近だった。そして──。
 二人は同時に現出した。

 最高の時でも時は歩みを進めていた。
 引き潮の刻だ。この岬は鋭い岩肌と漂着物
が露わになり、それらの特殊な加工をされた
刃のせいで、いかに深海鬼と言えどもとても
通れなくなってしまう。

 陸の生き物と海の生き物が交わるには越え
るべきものがまだまだ多い。
 しかしこの二人なら、やがて越えられるだ
ろう。
「また次の機会も、この場所で会おうぞ」
「次の機会じゃない。八日後」
「──そうだったな、八日後」
 終わり方がよいと次の始まりもよい。二人
はきっと次も甘美な時間を過ごすだろう。
 銀の月が満面の笑顔で佇んでいた。
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