にんにくガーリック

元気に小説を書きます。水曜日のお昼ごろ更新の予定。このブログの内容は、特別な記載がない限りフィクションです。

『パンを食った少女』

『パンを食った少女』


 槍を支える兜の下で、蛇のように鋭い眼がさらに鋭く光った。
「そこな少女よ、立ち止まれ。
抱えたバスケットの中身を見せてもらってもよろしいかな」
声をかけられたと気づくと、エレンの脚にさりげなく力がこもる。
傷みこそあれど生地を贅沢に使った、
膝まで隠すスカートの中までは、兵士の鋭い眼にも見えなかったのだろう。
兵士の手はエレンの肩を捕らえることなく、
滑るように裏路地を目掛けて駆け出した。

「闇パンの密売だ!」
号令に呼ばれた兵士が集まりエレンを追う。
裏路地の見通しが悪く曲がりくねるため、
エレンの逃げ足でも追いつかないまま、
家の扉へと飛び込んだ。

一般の兵士の独断では強制捜査までは許されないため、
闇パン狩り隊長の到着を待ちながら、
他の道を見張りに回る。

 闇パン狩り隊長の到着と同時に扉が開かれ、
エレンの母がこうべを垂れた。
「どうかお見逃しください、小麦不足でパンが高くなって、
こうでもしないと食べられないのです」
「だからといって闇パンを食べれば、
空腹よりはるかに巨大な危険があるんだ」

 家の外から奥まで届く声は、まだ入ってはいないことを教えた。
エレンに触れるまでにやっておけることを探した。
逃げられる裏口はない。金属質な足音が聞こえていた。
隠れられる部屋もない。小さい家なのですぐに見つかってしまう。
兵士の声が近づいてきそうだ。
エレンの頭に名案が浮かんだ。
家の奥までやってくる前に食べてしまえば、
少なくとも取り上げられることはない。
足音が聞こえないうちに、
聞こえても邪魔されないうちに、
エレンは闇パンを貪った。
一口、また一口。食べこぼしにも構わず貪った。
バスケットが空になると、底に残ったわずかな粉を集めた。
混ざっていた木片や虫の死骸に気づいて躊躇うが、
すぐに欲しいものを思い出し、
まとめて口へ流し込む。
そういえば、床にも食べこぼしがあった。
大きいものから拾って舐り、
拾うにも困難な細かい破片は、
舌で直接かき込んだ。

 気づいた時には夢を見ていた。あるいは夢心地なのかもしれない。
薄暗い森の奥、ますます暗い施設。
自分で動くこともできず、ただ見えるもの聞こえるものを受け入れる。

連れ込まれている。
誰かに担がれて、天井を見ながら奥に運ばれる。
階段を降りて地下、悪臭の吹き溜まる部屋で、ようやく顔を横に向いた。
担いで来た者の姿が見えた。
黒く、丸みを帯び、中央がさらに上に膨らむ。
闇パンだ。
兵士に似た甲冑を着た闇パンに運ばれたのだ。
扉のない部屋なので、去る姿を目で追っていた。

 眠り、目覚める。また眠っては目覚める。
誰と顔を合わせることもなく、
何度も眠っては目覚めた。
太陽が見えないので、どれだけの時間が過ぎたのかもわからない。

 頭がある程度すっきりしてきたので周囲に目を向けた。
すぐに身体が動かない理由に気づく。
皮のベルトが2本ずつ巻きつき、金属の鎖が伸びている。
汚い部屋に反して器具は新しいらしく、
外す術もないので、そのまま何度も眠った。

 初めて何者かが現れた。
紫のフードを目深に被るので顔は見えないが、影ではない黒さに見えた。

「ここから出たいか」
低く細い声で囁いた。
返事をしようと力を込めるが、
聞こえる声は唸り声のみだった。

「よかろう。しかし、このままの姿ではすぐに見つかってしまう。
君を鳥にしてあげよう。翼を広げて飛び立つがよい」
唸り声から読み取ったのか、
都合よく解釈したか、
質問もできずに触られるままだ。
何かを塗られているようにも感じる。
ぼうっとした頭を起こそうとしていると、
視界が輝きに包まれた。

 久しぶりに太陽の下に出た。
鳥となり大きな翼で飛んでいる。
元の家に戻る道がわからないものの、
空から見ればいつかは見つかるだろう。
森の外でまず目についたもの、小麦畑。
パンを作る材料。
またパンを食べたい。
あのパンを。
低空まで降りると先客も見えた。
鳥たちが悠々と小麦を食べている。
ならば、自分も。
舞い降りて小麦を食べ始めた。

こうして小麦不足が勢いを増し、
闇パンがさらに出回るのだ。
すべて、計画通りに。