にんにくガーリック

元気に小説を書きます。水曜日のお昼ごろ更新の予定。このブログの内容は、特別な記載がない限りフィクションです。

海辺の旅館にただいま

海辺の旅館にただいま
 お知らせ この小説は若干のSUKEBEを含みます。

 

 潮の匂いと、赤く照らす朝日。
豊倉 七海(とよくら・ななみ)の朝はしばしば、テトラポットを温めて始まる。
8月2日。
今日は大切な人が海の向こうから帰ってくる日だ。
指圧を中心に整体師の技を教わりに行くと聞いていたが、
それが予定より1か月も早まる連絡を前日に受けては、
迎える顔が決まらずにいた。
トラブルか、挫折か、何にしてもいい知らせの気はしない。
「豊倉さん」
背後から若い声。
「もう朝食の支度を始めちゃいましたよ。女将さんが張り切って、豊倉さんにも応援食だとかって」
頭も見えなかった太陽はすでに水平線を離れて、
まとまらず、気づきもせずにいた時間を教える。
「先に戻ってて。私はもう少しだけ」
「今まで戻らなかったんだから、もうこれ以上はありません。僕と一緒に戻りますよ」
若いとは言えども、七海よりはるかに力持ちだ。
「不安は何も動かしませんよ。手段はあるから乗り越えなきゃ」
手を引きながら言い足す。
「僕も応援してるんです」
七海を包む少しの温もりが、今日ばかりは大きく感じた。


 高い太陽が正面口を輝かせる。
観光客に人気の旅館を毎日使う、従業員用の静かな裏口は、
建物と大樹に挟まれ夏でも涼しくいられる。
ゴミ出しと掃き掃除を済ませたその時、戻る七海に背後からの声。
「おっす! ただいま、七海」
ここで能登 瑞穂(のと・みずほ)の高身長から繰り出される得意技(フェイバリット)、
有無を言わさぬヘッドロックやわらかハグが七海を包む。
七海の言葉は文字通り誰の耳に届くこともなく、
輪を成す腕・肩・胸、そして上下を受け持つ顎とおなかが
迅速深層確実に命の尊さを心に刻み込む。
心拍数は急加速し、脳は酸素を渇望する。
肋骨内部の地殻変動だ。
ひと通り刻み終えると、瑞穂から解放された七海が口を開く。

  ひとまずは元気なようで安心し、最初の疑問。
「おかえり。いきなり裏口にきてびっくりしちゃった」
「女将さんにこっちから来いって言われてね。それより、
お部屋に案内しておくれ。そしてゆったり、積もる話をしよう」

言うが早いか瑞穂はトローリーバッグを室内用カゴに乗せて、
その間に七海は厨房からコップと麦茶を取り、部屋へ向かう。
「急だったから予約とは別の部屋だよ」
「ありがと。お邪魔します」
空きの多い3人用の客室を広々と2人で1泊する。


 やっぱり畳は落ち着くなあ!
瑞穂は言葉以上に身体中を使い、畳の質感を甘受する。
手招きをして、身体の前に七海を抱える。
「このまま調子に乗っても倒れるような椅子がなくて安心だよ」
「積もる話をしようよ。瑞穂の連絡が急すぎて心配したんだから」
七海の頭から顎をどかし、向き合うように回す。
「問題が起きたとかじゃあなくて、順調すぎてね。
あとで学んだことを見せてあげる」
七海の背中をさする。ゆっくりと、じっくりと、さする。
「みっちりと、口より手を動かせって教わったから、これも積もる話」
瑞穂の手がいよいよ服の入り口を見つける。
負けじと七海も入り口を探すが、瑞穂の服は見た目にわからないワンピース。
腰に入り口はない。
「ずるいや」
「何のことかなー?」
七海の肩甲骨の間に居所を見つける。
時を同じくして瑞穂の首元を、上に入り口を見つけた七海が這う。

さて一進一退の攻防を繰り広げる中、瑞穂がいよいよ口を向けます。
腕は腕に、脚は脚に、口は口に。
身長差が無情にも、主導権を瑞穂だけのものとしていたのです!
舌と舌の鍔迫り合い!
間近で観る28の歯も大興奮の渦に包まれています。
ここで七海、一旦距離をとり歯茎を狙った!
百戦錬磨の瑞穂もたまらず待ちの姿勢に入ります。
舞台は一転して遠距離戦、
気づけば両者、腕と脚は冷戦状態、口が最後の決戦です。
熱い息遣いをも遮る、汗の滴り。
飲みかけた麦茶を懐かしむ暇もなく、
2枚の闘士がしのぎを削る闘技場。
観客席の28の歯も、そして席そのものたる歯茎も、
両者を見守りながら喊声をあげています!
さあ再び接近戦へと縺れ込みます。
舞台はいよいよ大詰めか。
両者と歯茎が三者三様に絡まりあいます。
おっとここでついに、いったーーー!
七海の激しい追い上げに瑞穂、ノックアウト!
いいえ、まだです!
倒れる寸前、最後の一指しが七海に突き刺さっています!
最後の最後までどんでん返しは残っております。
舞台が濃厚豊潤な幸福で満たされ、いよいよ持ちまして決着の時。
ピロウトークの主導権はどちらが握るのか。
はたまた延長試合に突入するのか。
仰向けに倒れるのは瑞穂、うつ伏せに倒れるのは七海。
汗だくの両者、中でも口周りに溢れた汗は際立って芳醇です。
これまで隠され続けた声帯がデモンストレーションをはじめ、
「七海、強くなったね」
「瑞穂もやっぱり、強い」
お互いを讃えあう。

 部屋の外からノックと、続いて女将の声。
「七海と瑞穂ちゃん、そろそろ夕ごはんだから先にお風呂に入っておいてね」
「はーい」
七海が答える。
「お世話になります」
麦茶を飲み干してから瑞穂も答える。
幾許かの余韻を愉しみ、浴場へ向かった。
七海は貴重な旅先の話を楽しみに、
瑞穂は久々の故郷の味を楽しみに、
そして両者、教わった技の実践を楽しみに。