にんにくガーリック

元気に小説を書きます。水曜日のお昼ごろ更新の予定。このブログの内容は、特別な記載がない限りフィクションです。

『ヒーロー・スクール』

『ヒーロー・スクール』

 散歩の途中で少年たちの声が聞こえた。
 歓声に似ていたが、すぐに落胆に近いと気づいた。なにやら心配するような声色が遠くまで届いた。首を彼らのほうに向けると、きつめに巻いたマフラーが髪を引いた。首だけでは足りず、身体ごと向きを変えた。マフラーを出したばかりの季節はいつもこうだ。
 五人がそれぞれ凧を持ち、一人だけ手が空いていた。
 彼らと同じほうを見上げると、高い木の頂に凧が引っかかっている。周囲に人影は少なく、その誰もが彼らとは遠かった。冬とは言え、木に葉が多く、誰かを呼ぶにしても大変そうだ。一番近いのもあって、やるしかないと思い足を向かわせた。近づくごとに会話がはっきりと聞こえてくる
「糸はまだ付いてるから引っ張ったら取れるかな」
「引っ張らないで! 朝みたらすこし傷んで千切れそうだった」

 離れた場所から声をかけた。
「やあ、こんにちは。あの凧が君のかい? お兄ちゃんな、空を飛べるからすぐ取ってくるよ」
子供たちが驚くのを横目に、地面を蹴り、木の頂まで一直線に飛び上がった。姿勢を倒して凧の前に掴まり、絡まった糸と枝を慎重に外した。そして凧を抱えて、ゆっくりと舞い降りた。

「ほい、どうぞ」
 渡すと同時に歓声に包まれた。

「すごい! どうして飛べるの!?」
「それはね、すごい能力の学校があって、そこで飛べるようになったんだ」
「大きくなったら僕も行きたい!」
「ああ、いいと思うよ」
「名前! 教えて!」
「僕のかい? 山村良平だ。いまは第二中学校で、時々の先生をしてる。よろしくね」

 近いから行く中学校は多分そこ、僕も、と賑わった。これで元気になってくれるならよいことだ。子供達から元気をもらって生きていると改めて実感した。

 インターネットでは既に話題になっているが、子供たちはこういった内容にまだ触れていないようだ。能力の発端、暫定的に宇宙人とされる巨体の出現は三十年ほど前になる。彼らはもちろん、その親もまだ産まれていないかもしれない。既に多くのシェルターは生活区に馴染んでいるが、破片から得られる超能力はまだ実用化から間もなく、しばらくは紹介が必要になりそうだ。

 あまり長居をすると、持ち上げて一緒に飛びたいとせがまれそうだったので、用事があることにしてその場を離れた。再び地面を蹴って並木を飛び越え、広場からは見えない場所を歩いていった。

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 結婚してから間もなく、漁船に乗るようになった。
 船上では電話も使えないが、妻の森田嶺子が持つテレパシー能力のおかげで寂しい瞬間はなかった。詳しくは語られなかったが、やりたいことを思い浮かべて得るそうで、その結果がテレパシーなのは森田吉行にとってもありがたいことだ。見たものを映像のまま伝えてくれるので、海上にいながら庭や近隣での出来事を見ることができた。余裕のある時間を伝えたおかげで、毎日その時間になると送られてきた。
「うっかり二人前のカレーを作ってしまった」
「商店街の福引きでトイレットペーパーの山を貰った」
 今日の出来事を伝えてくれた。その場に自分がいないのは寂しいが、伝わってきた想う心で吹き飛ばされた。

「かわいいコートを買った。でも見せない。帰ってからのお楽しみ」
「マフラーを編んだよ。楽しみにしててね」
 時々のあえて言葉だけの日には楽しみが増えていった。結婚前にも同じようなことをしていたのを思い出し、変わらず楽しめるおかげで充たされた日々を過ごしている。

 大漁だ。受け取るばかりだったが、ついにいい知らせを送る日が来た。寿司の話をしたから寿司を食べたくなったと聞き、その様子を伝えられることで自分も食べた気分になった。

 そうこうするうちに、陸に戻る日が来た。
 晴れているおかげで少しずつ大きくなる山影がよく見える。起伏のある景色、変化のある景色、二週間ばかり離れただけで懐かしさがこみ上げてきた。

 久しぶりの陸を踏みしめるころに、短いテレパシーが送られてきた。
「逃げて」
ただ一言だけとあり大きな事態とわかった。
 港から家までは車で二時間はかかる。一体何が起きているのだ?
 材料なく考えても始まらない。ラジオの音量を大きくし、車を飛ばして向かった。もちろん、いつでも逃げられるように決心を固めた。意思を無駄にさせたらただ死ぬよりも重い。
 やがて遠くに巨大な三角形の影が見えた。地域で最も目立つ十五階建てのビルよりさらに背が高い三角形について、ラジオから解説が聞こえてきた。
 突然現れては半日程度で消える謎の存在で、宇宙人とも考えられ、交信を図るような鳴き声からザリーシャと呼ばれる。

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 幸いにも交差点はすべて赤信号だった。横断歩道を突き上げた二本の脚が見え、アスファルトを割りながら非自然的な三角錐型の頭を引き上げた。足を三本目、四本目と引きずり出し、歩き出すと同時に四本の腕を広げた。

 人々は避難の前に動きを注視する。
 初めて現れた時から変わらず破壊そのものは目的ではないようで、現れる場所も、動く先も不規則だった。これまで山間を歩いたり、都市を歩いたりもしていた。交信を試みるような声もやはり聞こえ、初めて見た子供たちは「本当にザリーシャって聞こえる」と驚いた。今回は幸運にも道路に沿って歩くようだ。そうは言っても、道路沿いの建物は腕や足により抉られていった。

 歩く速度は遅い。小走り程度で逃げきれるとはいえ、高い建物の中にいる者は飛び降りる訳にもいかず、大慌てで非常階段を降りていった。

 駅のホームから山村良平が飛び出した。電線を避けて飛び上がり、安全な高度から水平移動を始めた。
 背後から近づき、小型の特殊な銃を構えた。彼の姿を見るとザリーシャはそちらに向かっていった。能力を持つ、つまりは自らが落とした破片を埋め込まれた人間に対し、なにか感ずるものがあるのだろうか。

「こっちだ!」
 頭の上を飛び越えながら、三角錐の頭をめがけて弾丸を撃ち込む。そして距離を離す。やがて距離を詰められる。再び弾丸を撃ち込む。
 そうした動きの甲斐あり、進路を郊外の側へと誘き寄せていった。援軍が集まりやすいように駐屯地の傍を通る。挟み討ちにできる形だ。

 公園の広場を前に小さな影を目に留めた。
 見覚えのある子供が座りこんでいた。確か先日、凧が木に引っかかり困っていた少年だ。足首を庇う様子がある。おそらく慌てた走りでうっかり挫いたのだろう。彼も良平が近づくことに気付いた。
「あ、あの時の」
「怪我してるだろ。僕があいつを遠くにおびき寄せるから、安心してくれな」
頷くのを見てから再び飛び立った。銃を構えて、すれ違いざまに撃ち込んだ。可能な限り人が少ないほうへ、順調に誘導していく。弾が尽きたら予備に切り替える。二本目の弾倉を撃ちきるまで大事に使って六十四分を想定した。

 それより前に避難が済み、援軍が到着した。
 戦車というよりも改造トラックのような、専用の弾頭による射撃だけを想定した特殊機が広めの間隔で並び、一発ずつ確実に撃ち込んでいった。誘導の甲斐あって注意するべき建物がなく、跳弾の被害なしに射撃ができた。

 やがて巨体も限界か、霧のように姿を消した。
 これで倒したのではないことを誰もが知っているが、放っておけば半日近く活動するものを、今回は二時間程度で退散させた。いまは抜本的な対策を目指して研究を進めながら、応急処置的に被害を低減する段階だ。

 車がやってきて、降りた男性が口を開いた。
「さっきまで見えてたのがザリーシャってやつか?」
隊員と話をした。どうやら妻からの連絡が途絶えて心配をしているらしい。
 しばらくすると隊員と男性の両方に連絡が届いた。
「生き埋めになっていた女性を救出した」
「気を失っていたけどもう大丈夫、無事に救出してもらった」

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 学長室の扉の下から液状の身体が入り込んだ。黄味がかった粘性の身体が建物の角と隙間を巡り、誰もの視界の中にいながら、誰も視線を向けていない。学長が戻るのは夕方から夜にかけてが多い。このまま待ち構えながら、建物内の各人を観察し、邪魔が入るのを防ぐことにした。
 学長室の奥には私室もある。油断しやすい場所を吟味する時間は十分にあった。風呂場がいいか、台所もよさそうだ。トイレは心情としては有効だが、隙間や色の境界が少ないため、こうして隠れるには難がある。

 中を見るうちに気付いたことがある。
 危険な能力を持つものを密かに始末していると確信がある。親しかった友人からも気をつけろと最期に言われていた。この部屋にはそれらしい書類や道具が見当たらない。別の場所があるのだろうか。

 見つからないまま日が沈み学長が戻ってきた。潜んだままで近くを通る瞬間を待った。風呂場の直前、脱衣所で脱ぎかけた瞬間を狙うことにした。
 学長は最初にウォークインクローゼットへ向かった。コートを脱ぎ、ハンガーにかける。次に台所へ向かい、ポットで湯を沸かし、白湯を飲む。まだこちらへは来ない。
 テレビをつけた。チャンネルをバラエティ番組に合わせる。芸人の一発芸と同じように食器を鳴らした。ここで笑ってしまえば暴かれてしまう。意識を学長に集中させた。
 やがて服を脱ぎ、畳んでいった。特徴的な下着姿で潜んだ場所へ近づいてきた。ブラジャーの左右のカップに「学」「長」と書かれている。
 潜んでいる隙間をじっと見つめられた。
「ここの隙間にいるでしょう? 沼川英義くん」
 そして言い当てられてしまった。これでは潜む意味もないので、姿を現した。
「いつから気づいていた?」
「シャワーを浴びたいから、すぐに帰って」
言外に質問に答えるつもりはないと伝わった。

「せっかく覗けそうだったのに、残念だ」
戯けつつ腰のナイフに手をかけた。
「しまっておきなさい。君に勝ち目はない」
「これはこれは」
再び言い当てられ、しかし飛びかかるわけにはいかなかった。大差のある体格を前に余裕のある振る舞いをする、つまり何か策があるとわかった。もちろんハッタリだと断じることはできるが、そのリスクはあまりに大きい。

 突然、近くに置かれたモニターに後頭部が映った。横を向いていて、映り込んだものは布団と枕だとわかった。すぐに寝返りによって顔を間近に向けた。
「なるほど、この子がね」
「おい、なんのつもりだ」
妹の姿が映された、つまり知らぬ間にカメラが仕掛けられている。

「何故、自身の能力を言葉で語るか考えたことがないだろう?」
堂々とした口ぶりで続けた。
「それを知る他の人間がいてはじめて体現できるからだ。そして今は彼女が唯一のようだね」

 これを聞いて沼川英義の脳裏に記憶が巡った。二年前、同窓会に向かうバスが橋から落ちて水没したのだ。乗っていた二十人のうち十七人は助かったが、助からなかった三人はすべて沼川英義をよく知る者だった。
「おい、まさか」
「人はね、自分一人では動けないのだよ」
「あのバスも事故じゃなかったのか」
「君はむしろ都合がいいと言い聞かせたみたいだけど」

モニターに目を戻した。
「彼女が最後の一人だね。それが映っているということは、もうわかるね」
明らかに人質に取られている。しかし何か引っかかった。考えを巡らせる。この場で引き下がるわけにはいかない。そうだ、

「詭弁だな学長、あんたが俺の能力を知っているだろう」
沼川英義はにじり寄ってナイフを立てた。モニターが赤く染まり、部屋は光に包まれた。

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 学長がシャワーを浴びる間に別の影がやってきた。少しだけ残っていた水を飲み、ベッドに座りこんだ。シャワー室の扉が開いたのを見て声を投げかけた。
「学長サン、ご機嫌いかが?」
「君か」

干してあった下着を取りながら話をはじめた。
「ひと仕事したところのようだね」
「ああ、危ない所だったよ。彼はとんでもない力を持っていたね。先に動いてくれて助かった」

特徴的な寝装に着替えて、隣に座った。背中に大きく「学長」と書かれている。
「ところで、せっかく育てたヒーロー同士にも諍いがあったらしいけど」
「ご安心を。失ったのは百の中の一で、まもなく五百を育て終える」
「ほほう。繁殖力が強いとは聞いていたけど、まさかそれほどとは」

長い髪をまとめて、寝る準備が整った。
「あと六十年もすれば──失礼、六十周のことだ──そのぐらいすれば誰もが私たちを知るようになる。そこからが本番だよ」
「そうね。一応、ずっと目を光らせはするけど、私の出番は少なそうだ」
学長は大きく頷いた。
「さて、ここは私の部屋だ。そろそろどいてくれないかな」

 座り込んでいたベッドから立ち上がり、身の下を見た。裂けていないと確認すると、両手で頬を撫でた。
「それじゃあ、おやすみ。愛しいザリーシャ」
からかうように呼ぶと、その姿が霧のように崩れて消えた。